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ミックスライス トークドキュメント

「共同体について考える」

2017年4月25日、「アジア回廊 現代美術展」のプレイベントとして、1990年代後半より一貫して「移住」というテーマを探求している韓国人2人組の参加アーティスト、ミックスライス(チョ・ジウン、ヤン・チョルモ)によるアーティストトークを行いました。これまでミックスライスは、1980年代の経済の規制緩和によって韓国に急増した東南アジア系の移住労働者や、都市開発における造園の流行によって高値で移植される植物など、様々な立場から問いを投げかけるソーシャルプロジェクトを各国で発表してきました。まだあまり日本では紹介されていない彼らの活動を、近作を中心に紹介していただきました。

はじめに

チョ・ジウン:ミックスライスは2002年に結成されたアーティストグループです。 ミックスライスの始まりは、移住労働者センターというところで移住労働者達と共に「ミックスライスビデオ教室」を開いた事です。移住労働者というのは少数者でもありますが、アジアの地域でグローバル化が進んでいる象徴でもあると思いました。個人的に移住労働者達に会うようになるには、色々なきっかけがありましたが、脈絡をお伝えするとそういった理由があります。 私達の制作には二つの傾向がありまして、一つはコミュニティと一緒に行う芸術活動であり、もう一つは展示を目的とするアートプロジェクトです。

樹齢千年のケヤキの物語から学ぶ、アジアにおける共同体のかたち

《The Vine Chronicle》というプロジェクトは、植物の移住に関するお話です。千年になるケヤキがソウルの高級住宅街の造景として使われるというエピソードが、この作品を作るきっかけになりました。千年というのは想像できないほどのすごい時間だと思いますが、その時間を移すということはもっとすごい事だと思いました。そして木を移した後、1年、2年も経たないうちに、その木は死んでしまったのです。

実は、その木は10億ウォン(約1億円)くらいする木だったのですが、急に死んでしまったので、その場所にまた新しいケヤキを植えて、まるでまだケヤキが生きているように見せていました。それである人々は冗談で「10億ウォンの植木鉢の中にあのケヤキが植えられているんだ」と言っていました。私達のプロジェクトでは、そのような木がどこから来るのか、元々あった場所はどこなのかということを追うことから始めました。その木は、ダム建設の過程で水底に沈む村から移植したものです。そこにはかつていくつかの村がありました。今はだんだん水が増えてきて、今年の夏にはもうすっかり水の中に沈んでしまいます。今スライドで映している木は450年くらいの木ですが、この木もまたダムにより失われた村から来たものです。この木もやはり死んでしまいました。私達の疑問は、どうして木々が移されるのかということでした。結局、古くからある共同体が無くなることで、とても簡単に木が売られたり、買われたりするということが分かりました。

《Plants that Evolve (in some way or other)》(2013)

アジアでは、いわゆる開発は非常に頻繁に起こっていることですね。日本より韓国、そして韓国より中国で、急速な開発が行われていると思います。開発によって多くの建物、そして多くの空間が生まれるわけですが、その分、私達の中の記憶の空間はどんどん無くなっていきます。こうやって木を売ったり買ったりする行為は、時間を売ったり買ったりすることと同じだと思いました。それで私達は色々な木を追跡して、それらの木を写真にしたり、映像にしたりして展示をしてきました。東アジアの大きな特徴は、東アジアの人々は木を信じていたということです。

韓国では、木はいつも村の玄関口にあります。現在、木を信仰する風習が一番残っている場所は済州島です。私達の映像には、私達が出会った済州島の木がたくさん出てきます。今の済州島は開発ブームが起こっている場所でもあります。古い建物の前には樹齢20~40年の木がたくさんあるのですが、再開発されることでそれらの木は全部捨てられてしまいます。私達はそうやって木が捨てられたり、移植されたりすることに対して批判もするのですが、批判だけをするのではなく、その植物の持つ時間というものが、どうやって現在と未来を繋ぐのかということを探りたいと思って、このプロジェクトを進めていました。

スライドの写真の村は、実はもうダムに沈んでしまっていて、ここにいた人々は皆、移住してしまいました。人だけではなく木も全部移住しました。今もアパート団地にはどこかから売られてきた木がまた植えられています。そしてその移された木がそこに定着し、また新しい物語を作るまでにはたくさんの時間が必要なのです。そういった植物の持つ時間というものについて人々は悩み、何かを見習うべきだと私は思います。

ながれゆく共同体

ヤン・チョルモ:これは2016年5月に展示した作品です。1960年代、韓国では土地を分譲する際、空き地に捺印の機械で表示をして、家を売っていたそうです。ドレスルームやトイレのような西欧的な名前と、便所のような伝統的な名前の標識があって、どこがどういう風に使われるのかが表示されていました。

チョ・ジウン:これはその時に展示された壁画ですが、グラフィティになっています。私達は共同体がなくなった場所、もしくはなくなる予定の場所を訪ねて木を採集し、捨てられるはずだった木をグラフィティの材料として使いました。その共同体があった痕跡、そして植物があった痕跡というものを残したいという考えは共通しています。現代人が古い木や珍しい植物を自分の庭に植えたがるような欲望は、植民地時代に西洋人がアジアへ色々な物を採集しにやってきた、その欲望とすごく似ていると思います。私達のプロジェクトはそのような話を映像で残しています。

私達が制作を始めたきっかけには、アジアの移民に注目したということもあるのですが、実は現代の韓国人も定着できないままだと考えたからです。韓国語ではそういった人々を「流れ者」と呼びますが、その理由は、自分の生活の基盤をマンションの価格で決めてしまい、どの共同体にも所属できず、いつも自分を定着させられない、そういった状態について私達は語りたかったのです。

東南アジアの移民たちは少しでもお金を稼ぐために、一日でも韓国に長くいようとします。しかし開発を反対する立場の人たちは、そこにある土地や木、自分が生きていた時間を守ろうとします。この時間というのは、私達にとってとても大事なポイントですが、開発を行えば行うほど常に新しくなるもので、そこにはいつも「現在」だけが存在します。例えば、韓国では十年後を想像して木を植えると言われます。しかし今の造景では十年後の景色をまさに今のように見せることが流行しています。植物は移植から一定の時間を経ないとその場に定着することができません。この植物の時間が、私達が持つことのできなかった過去と未来の時間をまざまざと見せてくれます。これが私達が最近行っている植物の移住に関するプロジェクトです。

日本も韓国も同じ? 非正規雇用の問題を取り上げて

次にお話しするプロジェクトは《21世紀工場の明かり》という作品です。これは1978年に韓国で上演された「工場の明かり」を現代風に再解釈したものです。スライドの写真は、70年代に録音された「工場の明かり」のテープです。このテープは工場で働いている労働者達に、民衆劇を広めるために不法に配布されました。この民衆劇は、キム・ミンギというアーティストが作詞・作曲を担当し、多くの活動家達によって演じられました。当時、韓国社会で最も問題となっていた女性の労働者が会社の妨害で労働組合を作れないという状況を劇にしたものです。

現代ではどのような劇を作れるのかを私達は考えました。現在の韓国で最も問題となっているのは、非正規雇用の問題です。非正規雇用の労働者達はまるで食料品のように扱われていて、この非正規雇用に関する闘いは、十年間の法廷闘争を経ても結論が出ないままになっています。例えば、三洋自動車という会社で23名が自殺するという衝撃的な事件があり、このような問題が2000年代に入り注目されるようになりました。

70年代、女性が労働組合を組織できなかったという現実を民衆劇にしたように、今度は非正規雇用の解雇者たちを民衆劇のモデルにしました。こうした問題の背景には、他の賃金の低いアジアの国へ工場が移動しているという理由があります。ギターを作っていた労働者、三洋自動車の労働者、半導体会社で働いていた解雇者、移住労働者、青年実業家などが参加し、一緒に劇を作りました。かれらの現実の話を反映した歌詞を作り、実験音楽のインディーズバンドたちに音を作ってもらって曲を完成しました。ここでは、キム・ミンギが作った70年代の「工場の明かり」と私たちが作った「工場の明かり」、そして韓国の伝統的で儀式的なものとをどうやって繋げるかということについて考えました。

《21st Century Light of the Factory》(2016)

私は2000年初頭に、マソク家具団地で移住労働者たちと一緒に演劇を作ったことがあります。ここは60年代にハンセン病の人々が住んでいた村ですが、現在は家具工場ができて多くの移住労働者たちが住んでいる場所です。バングラデシュからやってきたアルムという人がシナリオを書いて、村の人たちが演じるという、移住労働者たちの現実を描いた作品でした。この創作劇のタイトルは「不法な人生」です。とてもつたない韓国語の演劇です。今ではこの村は衰退してしまい、共同体としての力がなくなって、もう演劇は続いていません。でも、このようなな演劇が人々の記憶から消えてしまうことはとてもおかしいことではないでしょうか。

このスラム街のような村で生まれた「不法な人生」という演劇は、演じられないことで、すぐ忘れられてしまいます。この演劇を何と繋げていけるかを悩んでいた時に見つけたのが、キム・ミンギの「工場の明かり」の映像でした。 このような自分の現実を文化という枠の中に自ら盛り込もうとした努力が繋がることを望んでいます。そのために私達がやるべきことは、共同体と一緒に作る参加型の芸術や活動をすることだと思います。マソクではもう演劇はできない状況ですが、ある移住労働者の提案でフェスティバルを開催しました。

《21st Century Light of the Factory》(2016)

ヤン・チョルモ:このフェスティバルはとても面白くて、楽しかったです。すごく多くの人が来てくれましたが、移住労働者と一緒に働いている韓国人の労働者達も来ました。 ここの住民は元々カトリック教の信者が多く、後にはキリスト教を信じる人も増えてきて、お互いのイベントには参加しないという状況になっていました。しかし、このフェスティバルには宗教に関係なく、多くの人々が来てくれました。このフェスティバルが行われたのは秋頃で、冬には移住労働者たちがこのフェスティバルの話で盛り上がっていました。スライドの写真は、MDFといって家具工場の木くずですが、体に悪いものです。これに体に悪い接着剤を混ぜ、キーホルダーを作って人々に売りました。私達は材料費が一銭もかからない廃棄物から作ったキーホルダーを売ってお金を稼ぎ、公演をするために使いました。

痕跡を残したい

チョ・ジウン:実は、このイベントに参加した移住労働者達のほとんどは、不法滞在をしている人々です。つまり、書類上では存在しない人々です。政府が出したマソク家具団地の地図を見れば分かるのですが、大半が山や野原として表示されますが、実際は工場もたくさんあるのです。私たちがこのフェスティバルを開催する時に「存在しない場所で存在しない人々と一緒にする真夏の夢」と人々に話しました。私達のプロジェクトは、何か形のあるものを作ったり、造形として実在する何かを作ることではありません。ただ私達が真夏の夢のように集まって、楽しい一時を過ごしたという痕跡を残すだけです。そしてその痕跡の一部を展示会場に持ってきたのです。

このフェスティバルを開催した時、普通なら対立する人々が同じ場所に集まる経験をしました。刑事といえば不法な人々を捕まえる人ですが、このフェスティバルの時には刑事が自分の家族を連れて来ました。また人類学者や社会学者など移住労働者について研究する人、移住労働者を相対的に見る立場にいる人々も一緒に集いました。この村には歴史的にキリスト教とイギリスの聖公会という二つの宗教があるのですが、このフェスティバルの時には牧師と神父がその場に一緒にいました。また、ミュージシャンといえば観客を対象とするのですが、この公演はかなり特殊だったので、観客と演奏者の区分がなく、皆混ざっていました。このすべてが混ざっている「真夏の夢」を過ごしたのは、とても大切な瞬間だったと思います。対象と対象を見る側の隔たりが存在しない、そのようなことを展示を通して語ろうとしました。対象と対象ではない人が混ざる在り方、そしてその人々が一緒に過ごしたその瞬間を、私達はいつも語りたいと思っています。

2017年4月25日に開催したミックスライス アーティストトークより、抜粋して編集しました。 編集:西尾咲子(アシスタントキュレーター)、イ・ジウォン(インターンスタッフ)、稲垣千里(インターンスタッフ)

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